中野仁子(シャンソン歌手)蓑毛富子(ピアニスト、声楽家他)先輩後輩対談

様々な業界で活躍されている熊大附属中学出身OBOGをご紹介していくコーナーです! 第4回は、去年の東京同窓会でゲストとしてご出演されたS31年卒業のシャンソン歌手・中野仁子さん&S43年卒業のピアニスト・蓑毛富子さんです。

同窓会当日までに1回の合同練習しかできなかったほどご多忙なお二人。しかも初めてのコラボレーション。世代は違えどコーラス部所属という共通点も含め、音楽を追求しつつづけ、現在も現役でご活躍されているお二人にコーラス部時代の思い出や現在のご活動、今回の熊本地震についてお話を伺いました。

中野 仁子(なかのまさこ)

熊本県上益城郡御船町出身。小中学校時代はコーラス部に所属。熊本高校、青山学院女子短期大へと進む。短大時代は青山学院オラトリオ合唱団に在籍。結婚、子育てを経て、地域のお母さんコーラスに入団し、アルトソロを担当。指揮者の師匠、「晋友会」の創立者であり小沢征爾氏や武満徹氏とも親交があった関屋晋氏に、その声を評価される。また友人からの勧めもあり、シャンソンのレッスンを受ける。
1992年52歳の時に新宿文化センター小ホールで初リサイタルを開催。以降、毎年ホールでのリサイタル、ディナーショー、ライブ出演と活動の場を広げている。
2005年股関節置換手術で院内感染し、長期入院となり2年間の休業を強いられる。2007年5月からライブ出演の復帰を果たし、2012年20周年記念ライブを上野・池之端ライブスペースQuiで催したことをきっかけに、3ヶ月毎のソロライブを4年以上続けている。2014年暮れには、熊本高校の同窓会で出会った30歳の新進気鋭のバイオリニストと、シャンソンとクラシックのコラボ・スペシャルライブを催し、好評を得た。

蓑毛 富子(みのもとみこ)

熊本県人吉市出身。附中、第一高校、国立音楽大学卒業。ピアノを有馬俊一氏、声楽を鈴木惇弘氏に師事。聖書宣教会において、オラトリオ、パイプオルガン、作曲、指揮法等を外国人で初めてドイツAカントールを取得した岳藤豪希氏より学ぶ。二期会ピアニストを経て、現在は声楽家、ピアニスト、ゴスペルシンガー、オルガニスト、指揮者、作曲・編曲家としてジャンルを超えた多彩な活動を展開中。
国内外の著名アーティストとの共演、愛知万博での連続演奏、国際飢餓対策や震災復興のチャリティコンサート等、日本全国、世界各地で多くの人々と触れ合いながら精力的に演奏活動に取り組んでいる。東日本大震災にあたっては、発生以来毎月被災地に足を運び、現地の人々と心を通わせながら、音楽を通して勇気と希望、慰め、励ましを送り続けている。

まず、東京同窓会での演奏についてお聞かせください。

中野蓑毛さんとご一緒するのは初めてでしたが、すっかり意気投合しました。蓑毛さんは、この小さな体のどこに? と思うくらい、とてもエネルギッシュでパワーを感じます。このような方と出会えて、すごく嬉しく思っています。同窓というのはとても不思議な絆ですね。共有するものはないのに同窓というだけでスッと入りとても楽しい時間でした。
当日歌った「アミラとボスコ 橋の向こう側」という曲は、ボスニア紛争によって隔てられた民族の異なる恋人同士の悲劇に基づいています。実話を元にした曲で、訳者の方が私のために日本語にしてくださったんです。この曲と出会ったことで、私は実に大きなエネルギーをいただきました。

蓑毛私も中野先輩とご一緒させていただき、とても光栄でした。震災前でしたし、腰の骨を折る前でしたし、なんと幸せなことか、と。特に、お元気に活躍されているご様子を拝見し、とても励みになりました。今後もますますご活躍されますように!

お二人はそもそも、どのように音楽と関わるようになられたのでしょう?

中野私はもともと歌が大好きで、小学生時代からずっとコーラス部だったんです。結婚、子育て中に地域のお母さん合唱団に入団して、アルトソロを担当したことをきっかけに友人からの薦めもありシャンソンのレッスンを受け始めました。ただ、有名な先生を師にすると自由にできないと思い、あえて一匹狼で進んできました。初リサイタルは52歳の時で、現在は3ヶ月ごとにソロライブを開催しています。
このように私にとってシャンソンは人生を逆転させたもの。シャンソンのおかげで、曲と人との出会いが大いに拡がりました。

蓑毛「遊ぶことが大事」が家訓だったので、子どもの頃からあれもこれもと、いろんな遊びをしてきました。また、もともと身体の弱さもあって、できることはできるうちになんでもやっておこう、というタイプだったんです。ですから音楽家としても、歌やピアノだけにとどまらず、指揮や作曲・編曲までジャンルを超えたお仕事にも関わってきました。自分に枠をつくらず何でもお引き受けしていたら、今のようになっていました。まさに、「音楽家=わたしそのもの」というわけです。

附属中の思い出は? お二人とも世代は違いますがコーラス部だったんですよね。

中野思い出と言われましても私にはコーラスの記憶しかないわ(笑)。私が在籍していたのは、附中コーラス部がNHK合唱コンクールで初めて全国3位になった頃で、ホント練習漬けの日々でしたからね。当時の顧問は大格先生で、蓑毛さんの時は渡辺先生だったんじゃないかしら。偶然にもお二人とも私の地元の御船中を入れ替わりでご転勤なさり、何か因縁を感じています。

蓑毛渡辺先生については、印象に残っていることが三つあります。一つめは3年間合唱コンクールに一度も出場しなかったことです。私は音楽にランクを付けることはあまり好きではありませんのでおかげで楽しいコーラス部の日々をおくることができました(笑)。 二つめは1年生の文化祭の時のことです。3日前に急に「文化祭でピアノを弾くように」とおっしゃられ、私は必死に練習したのですが、案の定本番で失敗。すぐ弾きなおしたもののやはり間違えてしまい、相当落ち込みました。ところがそこに先輩がこられ、「良かったよ~! 渡辺先生も、しっか褒めとんなはったよ」、と。間違ってもすぐ立ち直って、最後まで弾き通したのが、なにより素晴らしいということでした。大切なのは失敗しても諦めず、そこからまた立ち上がって行くこと。そして、そこを評価してくれる人が必ずいるということを私は先生の言葉から学んだのです。
三つめは、カルメンをピアノで伴奏する時の舞台袖でのこと。これも急な話でしたので、当然ながら練習不足で私は不安でいっぱいでした。そんな姿を見て、なんと先生は「大丈夫。間違うと、お客さんは喜ぶけん!」とおっしゃってくださるではないですか。
これも私が今まで持っていた価値観と真逆で、瞬間、サッと肩の荷がおりました。 そして、言葉は人を傷つけもするが、逆にたった一言で人を救うこともできるのだ、ということを学びました。
附中は、そのノビノビ感に入学当初は多少戸惑いがありましたが、それもすぐに解消。皆に会いに学校へ行くのが、とても楽しくなりました。本当にみんな優しくてね。彼らは私の大切な財産です。

今回の熊本地震について、少しお話いただけますか?

中野まず、二人を代表しまして、この地震で被害を受けられた皆さま、ならびに全国のご親族の皆さまに、心よりお見舞いを申しあげます。また、被災地等におきまして、救援や復興支援などの活動に尽力されている方々に、深く敬意を表しますとともに、皆さまの安全と一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
幸い私の親戚や友人は、屋根瓦が壊れて雨漏りがするとか、壁にヒビが入ったという程度の様でしたので、多少ホッとしたところはありましたが、被害に遭われた方々の心中はいかばかりか、と。特に、命を落とされた方々には、心からご冥福をお祈り申し上げます。
震災直後の熊本城と南阿蘇のあの状態は今も、もちろん私自身の脳裏に焼き付いています。自然のパワーの凄さ、我々人間の非力さを改めて認識させられました。

蓑毛私も思いは中野先輩と同じです。そこで、地震発生以降毎月のように熊本の被災地に出向き、炊出し・物資援助、慰問コンサート等を行っています。そうした中では、こちらが気づかされることが多々あり、とてもいい経験をさせていただいています。
これは炊き出しをしていた時に若いお母さんから聞いたことなのですが、二人のお子さんにハンディがあるため、避難所で寝泊まりできず、この暑さの中、駐車場で車中泊しているというのです。また、サポートしているスタッフの方の中にも、みずから大きな被害に遭われたという方も、少なからずいらっしゃいました。こうした実態から決して目をそらさず、自分ができることをできる限りやっていかねばと思いを新たにさせられています。

熊本市内の介護老人保健施設では、音楽療法でのリハビリを兼ねた演奏会を

施設では唐揚げ・ちらし寿司パーティの開催も

福岡の生徒さんから預かった物資の入った手作り袋を配布

蓑毛さんは、東日本大震災の時にも慰問されていらっしゃったそうですよね。

蓑毛地震発生以来、毎月片道10時間運転して被災地に足を運び、音楽を通した支援活動を行っているのですが、こちらでも、私が何かして差し上げるというより、逆に多くのことを教えられています。
その一つ、釜石市の市長さんから「震災以降に子ども達の生活環境に格差が出て子ども達の心が荒れていましたが、最近では子ども達が真剣な眼差しで話を聞いてくれるようになりました。真心からの支援が人を立ち直らせるということを私が学びました」と伺ったことは、今も心に残っています。
また今年の5月、大船渡市と釜石市の仮設住宅地にできたコーラスグループの生徒さんが、「熊本の人にはたくさん支援していただきとても感謝しています。今度は私たちが」と、熊本被災地支援のチャリティコンサートを開催してくださいました。なかには家を流され、いまだ仮設住宅にお住まいの方もいらして、まだまだ大変だというのに……もう、涙が止まりませんでした。

同窓生へのメッセージをお願いします。

中野「英雄たちの選択」というテレビ番組で、加藤清正が取り上げてられていたのですが、そこでも「熊本人は優秀だ!」と評価されていました。私もそう思っています。ですから、今回の地震からの復興においても、「さすが熊本!」と言われる面を必ず見せてくれると、密かに期待しています。お互い頑張りましょう。

蓑毛被災された方には、少しでも外に出たり、お散歩したり、歌を歌ったり気分転換をオススメします。 炊き出しなど最初私一人の活動は点でしかなかったのですが、続けていると一緒に活動をしてくださっている方が増え、それが線になっていく、ということを学びました。

現役附中生へのアドバイスをお願いします。

中野私たちは、附中1年だった1953年6月に、死者・行方不明者1,000人という「白川大水害」を体験しました。今でもその時の苦労は忘れられませんが、若い時の経験は必ず人間を強くします。どうぞ、今回の地震も前向きに捉え、あきらめることなく頑張ってください!

蓑毛大人になったらできないこともたくさんあるので、やりたいことがあれば是非貫き通してほしいと思います。そして弱い人に優しく、困っている人を助けてあげられるような人になってほしいですね。
私が自信を持って言えるのは、あのようなひどい災害の中にあっても、また、自ら被災者であっても、今なお頑張って人のために働き生き続けている人は、愛情と教育を受けた人だということです。人を蹴落として、学歴だけ身に付けた人ではありません。自分は何のために、何を勉強しているのか、時折、自分を振り返ることが大切だと思います。

(最後に蓑毛さんの今後のご活動をご紹介します)

西原村に建設された仮設住宅への入居初日。蓑毛さんは、自ら作ったおにぎりや天婦羅を持って、1軒1軒慰問されたとのこと。これからも以下のご活動をはじめ、継続的な慰問訪問活動をされる予定です。ご興味がありましたらご連絡ください。
1. 9月3日:日本福音ルーテル健軍教会にて、素敵なお仲間とコンサートを開催。心癒され、元気になれる音楽をお届けします。特別ゲストのうち、西田博さんは、欧州で長年第一級のソロコンサートマスターをされた方。ソプラノ歌手・吉田李佳さんは附中OGであり、附中で音楽の先生もされていた方です。

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2.9月7日:特別養護老人ホーム『向山(こうざん)つくし庵』(19:00~19:30)にて直木賞作家で絵本作家の志茂田景樹さんご夫妻と共に読み聞かせの被災地支援活動をされます。どなたでもご参加可能です。

3.9月8日:西原村にある西原保育園(10:30~)、長陽保育園(13:30~)にて、10年以上一緒に活動をされている志茂田景樹さんと被災地支援活動をされます。絵本作家としても活躍されている志茂田景樹さんが絵本を描き、蓑毛さんが即興で作曲・演奏されるそうです。

公開日:2016.09.04

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